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物理学科の紹介

物理学科では

自然界の法則や原理を探求し、宇宙の謎や新素材の創造、新しい技術の開発などについて研究を行っています。

物理学科は、理工学部の基礎になっている理学部が1961年に創設された際に、化学科と併せて設置されました。当時の物理学の二大潮流であった素粒子や原子核物理学の分野と物性物理学の分野の中で、私学としての独自の特色を打ち出すことを視野に入れて、物性物理学の分野に中心がおかれました。物性物理は、純粋物理学と応用物理学とを橋渡しするものですが、20世紀における量子力学の急速な発展とともに、めざましい進歩をとげ、その成果は人類の文化に大きな変革をもたらし、私たちの生活を豊かなものとしました。物理学科は、物性物理を中心におきながら、理論物理学の観点から、素粒子論の研究も行い、実験物理学の分野には宇宙線の研究も含んでいました。さらに、物理学科の特色の一つは、数学に傾斜したコースが設けられたことです。物理学を勉強しながら、数学に強い関心をもつ学生に対しては、それをさらに深く学ぶことが出来るよう配慮されました。その後、数学傾斜コースの中に情報科学の分野が追加され、数理・情報傾斜コースへと拡充して行きました。

2002年4月に、理学部は理工学部に改組されましたが、その際、物理学科の中に含まれていた情報科学の分野は、情報科学科として独立しました。また、物理学科を物理学専攻と数学専攻に分け、二つの領域の一体性を保ちながらも、それぞれを独立させることで、カリキュラムの充実をはかりました。

2009年4月より、物理学科数学専攻は、数理科学科として発展・独立します。同時に、物理学専攻は単独で物理学科を構成することになりますが、物理学に必要な数学との連携を取りながら、物理を専攻する学生にさらに適したカリキュラムへと移行します。

物理学は数学とともに、現代の自然科学の核心をなすものであり、これまでに、社会に対して思想的、文化的に大きなインパクトを与えてきました。また、その技術的応用を通して、我々の日常生活の中に深く浸透しています。物理学は、21世紀における技術革新の進展に不可欠な学問として、今後ますますその重要性を増していくと考えられます。

物理学の重要性

近年、若者の”理科離れ”が問題にされ、その原因と対策について様々な議論がなされています。その理科離れのうちでも、特に”物理離れ”が深刻であるように思われます。この問題の答えを出すのは非常に難しく、また様々な要因が考えられますが、ここではいくつかの問題点に触れるに止めます。まずそれは物理の世界が、日常の世界に比べてあまりにも異質な点です。この点を緩和するため、新指導要領に基づく高校物理の教科書では、高校生になじみの深い自然現象や技術から導入してゆく試みがなされています。しかしその単元を終えると、やはり日常の現象を越えた抽象の世界のことを説明せざるを得ないのです。一方、これを言い換えれば、この世にはその背後に抽象的な法則があり、その法則に基づいてこの世の現象は起こり、法則を知ることにより、人間は技術を発展させて来たのです。一般的に言って、論理的思考によることよりも、フィーリングに基づくことを得意とする日本人は、物理における抽象的思考に、ことのほか苦手であるようです。このことが物理離れの原因の一つになっています。

最近の世の中は情報化時代で、コンピュータやインターネットあるいは携帯電話などの技術にあふれています。このような環境の中で、若者が物理学のような地味なものよりも情報技術の発展を担う情報系の学問に興味を抱くのは自然の成り行きです。これも物理離れの一因です。1980年代半ば、高温超伝導体が発見されたとき、一時的に若者の半導体デバイスの分野への志望者が増えた時期があります。若者はその時代の世の中の動きに敏感です。そして今は、情報技術の興隆に敏感に反応しています。しかし少し考えを巡らせば、コンピュータやインターネット、携帯電話なども、そのハードウェア面は半導体技術などに支えられており、それはさらに基礎において物理学が支えていることに気が付きます。日本における情報科学の創成期には、物理学の分野の出身者の中から多くの情報科学の研究者が輩出しました。これは、物理学の知識そのものが情報科学の役に立つからではなく、物理学の方法論や学問体系が、他の学問の基礎を作る上での手本になり、物理学を修得した者は、その経験が他の学問を研究する上でも役に立つからです。そういった意味でも、現代文明の中で物理学の重要性が失われることはありません。

歴史における物理学

自然科学(近代科学)は日本の土着のものではありません。すなわち、自然発生的に日本に生まれた学問ではなく、明治以降ヨーロッパやアメリカから輸入したものです。近代科学がなぜ西洋で生まれ、東洋では生まれなかったかという問題は非常に難しく、それに対して容易に答えることはできません。しかし、近代科学は古代ギリシャ哲学の伝統の中から生まれたという点については、異論のないことでありましょう。例えば、ニュートンの著書”プリンキピア(Phiiosophiae Naturalis Principia Mathematica)”の日本語訳の”自然哲学の数学的原理”が示すように、物理学は本来”自然哲学”の一部でありました。また、コペルニクスが地動説を唱えたのも、古代ギリシアの天文学者アリスタルコスの唱えた太陽中心説に影響されてのことです。コペルニクスは、天体のような高貴な存在の運動は円運動でなくてはならないといった、プラトン哲学的な発想に固執しておりました。しかし一旦地動説が世に出ると、コペルニクスのもともとの発想を越えて、近代的自然観(宇宙観)に発展して行きました。

一方、江戸時代以前の日本に、自然科学というものはあったのでしょうか。それは、自然科学というものをどう定義するかによりますが、特に物理学に匹敵するものはあったでしょうか。実は江戸時代の初期(ガリレイと同時代)に、日本人が鉄砲の弾道の研究を行っていたことが分かる文献があります。山本正重の「改算記」には、弾道が放物線として計算されています。また、野沢定長の「算九回」では、砲弾の勾配と射程距離の関係式が導出されています。それではこれらを、日本における物理学の発祥と言っていいでしょいうか。これらの研究と、ヨーロッパにおける近代科学との大きな違いは、彼らはいわば弾道に関する実験式を導いたに過ぎず、それを力学的理論に発展させなかった点にあります。このため、弾道に関する知識は、他の物体の運動の理解に役立てることはできませんでした。ヨーロッパにおいては、ガリレイ以前から、物体の運動を論ずるときには、動かす力や勢い、速さ、重力といったものを問題にしていました。すなわち、実用的には運動を正確に記述するだけで事足りるかも知れないのですが、運動の原因にまで思いを巡らせたのです。このような問題の捉え方は、ギリシャ哲学の伝統の中から生まれたものです。中世を支配したアリストテレス的自然哲学を土台にして、それを否定することにより、ガリレイたちは近代科学を作り上げて行ったのです。さらに、近代科学の発祥以降、ヨーロッパにおいては、科学と技術はお互いに影響し合って発展して来ました。一方、江戸時代以前の日本には技術しかありませんでした。 明治以降、日本はヨーロッパの哲学的伝統に基づく思考を十分育成する余裕もなく、科学技術を輸入しました。その際、ともすれば科学と技術を別々のものとして捉える傾向に陥りがちで、これは「理学」と「工学」という2つの学問が別々に存在しており、なかなか互いに交流しないことに現れています。一例をあげると、英語では Electric Field という言葉を理学系の人は「電場」と訳し、工学系の人は「電界」と訳すことに象徴されています。この傾向は、明治以降100年余り経った現在でも残っており、「実学」と「虚学」という亡霊が未だに人々を悩ませています。

科学と技術

科学と技術はまとめて’科学技術’と称されますが、一応は別のものです。一言で言えば、科学は’自然現象を理解する営み’、技術は’知識を応用し、生活に役立たせるわざ’ということになります。これらは、個々人の営みとしては分離できても、社会全体としては分離できません。またこれらはお互いに影響し合って発展して来ましたし、それなくしては停滞してしまうことでしょう。

百年ほど前、電磁気学の集大成を行ったマクスウェルは、社交界で貴婦人にあなたの学問は何の役に立ちますかと尋ねられ、役にたつとは答えられませんでした。しかし、それ以降の電気技術に依存した社会の発展を考えると、当時の質問がいかに意味のないものであったかは明白でありましょう。現代においては、科学と技術はますます分離出来ないものになっており、新しい科学理論が出現してから、それに対応した応用が発案されるまでの期間は、ますます短くなっています。

理工学部を卒業する者の多くは企業に勤めます。企業では大学で学んだことを生かし、ある者は(技術)営業や事業の仕事につき、またある者は研究開発の仕事につくことでしょう。しかしいずれにしても、科学そのもの、つまり自然現象の理解自体を目的にした業務につくことはまれです。言うまでもないことですが、企業の目的は利潤を生み出すことであり、そのための事業を展開することです。したがって、研究開発部門においても事業のもとになる技術を開発することが目的です。その際、大学で主として科学としての(理学としての)物理学を学んできた卒業生は、企業の中でどのようにしてその経験を生かすことが出来るでしょうか。

例として、半導体デバイスの研究開発を取り上げましょう。最近、ナノテクノロジーが話題になっておりますが、半導体をミクロの大きさのレベルで加工すること(微細加工技術)は20年余り前から行われて以来、ますます発展し、現在では原子1個1個の制御にとどまらす、電子1個1個の制御が考案されています。その際、従来の電気工学の分野での「電気回路論」や「電子回路論」では間に合わず、「電磁気学」さらには「量子力学」の知識が必要になっています。そして、「量子工学」という学問もあり、テキストには例えばデバイス素子に流れる電流の公式が載せられています。それでは、量子力学を勉強しなくても、それを応用した結果だけ知っておれば、研究開発には十分でしょうか。問題は、測定結果がテキストに書いてある通りにならなかった場合です。もし、応用の結果しか知らなければ、そこで開発はストップしてしまいます。一方、もし物理学の素養があれば、問題解決には量子力学に戻ればいいことに気がつき、大学時代の教科書を紐解くことができるのです。

大学時代に理学としての物理学を学んだ者は、応用の発想になじみが薄く、企業に就職した場合、工学を学んだ者に対して確かにハンディを負っています。しかし、応用の発想を身につけた後は、根元的なものを知っている、あるいは根元にいたる道筋を知っている理学出身の者はむしろ優位に立てるのです。そして、企業自体も2つの異なる傾向の技術者を必要としているのです。

物理と数学

近代科学の発祥以来、物理学は数学と一体でした。例を上げると、微分とういう概念はニュートンやライプニッツによって発見されたものであり、彼らは物理学者でもあり、数学者でもありました。それ以降、ガウスやポアンカレなど物理学と数学の両方で大きな業績を残した学者がいます。しかしながら、物理学と数学の両方が発展し、細分化されていく過程でこれらは分業化し、現代においてはこの両方を同じ重みで研究を行っている者はまれです。それでも、これら2つの学問は互いに影響しあい補いあって発展していることは、現代においても変わりありません。不思議なことに、物理において量子力学の創成期の頃には、それに必要な行列理論が数学の分野で独立に用意されていました。また、アインシュタインが一般相対性理論を思いついたときには、非ユークリッド幾何学が用意されていました。

高校までの物理では、数学的側面を表に出した教育は行いません。しかし大学では、逆に数学的取り扱いを重視し、微積分学や線形代数などの理解なくしては、物理学を理解することができなくなります。このため、数学専攻の学生だけではなく、物理学専攻の学生も基本的な数学の科目を履修し、習得することが期待されています。

物理学科の教育と研究

関西学院大学理工学部物理学科の物理学専攻には、現在のところ応用の考えられていない「宇宙論」を研究している研究室から、最終的には応用に結び付くであろう「物性物理」や「生物物理」の理論的研究もしくは実験的研究を行っている様々な研究室があります。その中には、基礎を重視する研究室もあれば、応用を強く意識している研究室もあります。しかし、応用を強く意識する研究室も、あくまで理学的な観点、すなわち物理学の原理を土台にして、応用を目指すことを目標にしているのであり、即時に役にたつような研究開発を行っているわけではありません。

カリキュラムなど具体的なことについては、'教育・講義'のページを見ていただくことにして、教育の特徴を述べますと、1年生におけるサブゼミや4年生の卒業研究に代表される少人数教育をモットーにしています。また、実験や演習を通して、実践力を養うことを目標にしています。’デモンストレーション物理’という科目は、長い歴史をもつ関西学院独自の講義実験科目です。